こんにちは!
当サイトの管理人のメーメー屋宜です。
ご訪問頂きありがとうございます。
当サイトでは、毎回、教室のレッスン風景や生徒たちの演奏をアップさせて頂きます。
また
私が《屋宜バイオリン教室》にて長年バイオリンの指導に携わってきた
経験から
初心者の皆さんのお役に立てる情報を
お伝えします。
□主宰者プロフィール
当サイトの管理人、屋宜政敏と申します!
多くの情報サイトの中から、このサイトを 沖縄市にて屋宜バイオリン教室を主催しています。信州大学理学部物理学科を卒業。才能教育音楽学校師範科にて鈴木鎮一氏にバイオリンを師事する。New York市在の音楽大学Mannes College of Music ディプロマ科にてバイオリン奏法・聴音・和声法その他の正式な単位を取得する。 沖縄県→長野県(約10年間)→沖縄県(約10年)→メキシコシティ(6ヶ月)→NewYork市(18ヵ月)→オーストリアとスイス(約7日間)→沖縄県、と渡り歩いて多くの体験をして来ました。 とりわけ、ニューヨークでは月一回の頻度で、ジュリアード音楽院の学内演奏会で世界中から留学して来ている 才能豊かな若者たちの演奏に接したり、演奏後に直接有意義な話を聞けたりしました。 メキシコでは眼前で強盗らと警官たちとの銃の撃ち合いに遭遇したり、NewYorkでは銃を突き付けられそうになったりもしました。 しかし、異質の文化や人たちとの交流や、世界トップレベルの文化にも触れることが出来ました‼‼ その様な経験を基にした視点から、バイオリン奏法の原理について、自分なりの視点から皆様に喜んで頂けるような記事をお届け出来るように努力いたします。
信州大学理学部物理学科卒業証書➡才能教育音楽学校師範科証明書➡《MannesCollege of music》音楽大学ディプロマ科取得単位証明書
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▢今回の記事の内容
1.Hちゃんのエピソード
Hちゃんは何にでも興味を持ち、そして興味を持った事には積極的にパワフルにブルドーザーのように突き進んでいきます。とても小さい体なんですがバイオリンを弾いている姿は大きく感じさせます。御父さんの話ではピアノに中国語にも興味を持って懸命に各教室に通っているそうです。バイオリンも当バイオリン教室で初めは通常の週一のレッスンでしたが曲が進むにつれて意欲が高まるにつれて週二日になり、益々練習に一生懸命に取り組んできました。
そうなりますと進歩には著しいものがありました。私が指導する事をジッと見ながら聞き直ぐに理解しました。上手く行かない事があるとむきになって続けようとするので〝力を抜いて!!〟とそのたびごとにリラックスさせるのが私の仕事でした。
レッスンが週二日になったのでかなり早い段階で曲以外に3オクターブの音階練習、初歩のオクターブ奏法なども取り組むことができました。
曲も鈴木バイオリン教本の一巻をベースにしながら、サードポジションはあっという間に習得したので有名なパッフェルベルのカノンも取り組みました。自分より年上のお兄ちゃんお姉ちゃんや大人の生徒たちに混じって楽しそうに体を動かしながら弾く姿は見ている方も幸せになりました。
さて、Hちゃんのエピソードと言えば台風襲来時の話を紹介せねばなりません‼‼‼‼ 沖縄と言えば〝台風銀座〟ですよね。毎年のように強烈な台風が5~10個襲来し、しかもその多くが風速4om前後の強烈さです。
ある夏の日、一日前から台風が沖縄本島に接近してきていました。そして、いつものHちゃんのレッスンの日、いよいよ台風が勢力を増して本島に上陸しました。勿論交通機関初めほとんど全ての社会機能がストップしました。当然、私は自動的にレッスンのお休みを告げるつもりでお父さんに電話しました。
私〝今日は台風警報が出ていますのでレッスンはお休みにします。〟 お父さん〝娘がバイオリン教室に行きたいと言っていますがなんとかお願いできませんか?〟 教室の外を見ると当然風はうなりをあげて庭の花木に吹き付けています。しかし、台風に慣れている私たちでしたらそのくらいの風でしたらコンビニ行ったりはするくらい風でした。 私は感動してしまい〝分かりました。行き帰りに十分気を付けてきて下さい。〟 と言っていました。 そして、前代未聞のレッスンは行われました‼‼‼‼
バイオリンを指導してきた中で実に忘れられない出来事でした。 その時、現在では沖縄を代表する声楽家の翁長剛先生の高校生時代のエピソードがものの見事に重なりました。翁長先生が高校のころ声楽を故嶺井先生についてレッスンを受けていた時、やはり同じように暴風警報が出ていた時に嶺井先生が〝ツヨシだったら来るぞ!〟と仰っていたらその通りに翁長先生がレッスンにきたそうです。私は感慨に浸りました。
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